2020年(令和2年)に世界中に蔓延しした新型コロナウィルスによって、茶道界も講習、教室が休みとなり、新型コロナ対策として、「各服点」が裏千家より発表された。
しかしながら、新型コロナ対策として、別々の茶碗で茶を点てる方式がとられているものの、伝承されてきた利休茶道を継承した上での各服点としては、完成された各服点ではなかった。
その「各服点」の元となったのは、明治になって、外国から来た人たちにとっては、濃茶の回し飲みは、衛生面から彼らの習慣には受け入れられなかったために、円能斎が発案した「各服点」であった。
裏千家の13代円能斎は、明治37年1月3日に発行された「浦のとまや」の中で、茶道の国際的理解を得るために、濃茶の「各服点」の方式を記述し発表した。
〇 円能斎の「浦のとまや」の中の各服点の記述
そもそも。各服点は、明治37年1月3日に発行された「浦のとまや」の中で、記述されたものである。その内容の要旨を原文に沿って(表現文字など)記述すると以下のことである。
円能齊好濃茶各服點手續
始め水指の前に茶入を荘り置く可し
客席に通れば亭主茶碗持出で茶入と置き合わせ
勝手に入り建水持出で座に着き杓取り蓋置出
し杓を蓋置きに引きて總禮す以下茶巾にて茶
碗拭ふまで通常の濃茶の如く扱ふて可なり
茶杓取り茶入れ取り茶を茶碗に入る(茶を三杓
入れて(客分と心得可し)茶入の蓋を閉じ元の位
置に戻し茶杓取り茶を捌き茶杓を元に戻し柄
杓取り湯を茶碗に汲む(此時一杓にて加え杓無
し)
茶碗にて茶を點じ茶碗を上座に出す
上客茶碗取込み連客總禮なす
正客直ちに茶を呑む
亭主は上客の一口呑み始むるや茶の加減の可
否を聞き直ちに立ちて茶道口に座し普
須磨を開く此時兼て水屋の者圖の如き
長盆に茶の入りたる茶碗四個を列べ置
きたるものを亭主に渡す
亭主長盆受け取らば前に置き普須磨を閉じ長
盆を爐上に持ち来り直ちに柄杓取り長盆上四
個の中先づ二個に湯を汲み一度流して返す
又他の二個の茶碗に湯を汲み柄杓を釜に戻し
茶筌を取り向ふ右側の茶碗より各點じ及ぼし
茶筌を元塲に戻し両手にて長盆持ち客附きに
持ち廻りて前に置き疊の上にて前向に廻し客
へ出す次客立ち両手にて右長盆を取り座に歸
りてへり外に置きて次禮を成して前の茶碗よ
り取り廻して末客に及ぼす 各自茶を呑む事
常の如し
亭主は客の長盆を持ち行くや居前になをり柄
杓を取り中仕舞を成し再び客付に向ふ
此時上客は茶銘を聞き菓子の挨拶を成す可し
亭主茶碗取り前置き總禮をなす以下常の如く
變る事なし二客以下茶を呑み終らば順次茶碗
を重ねて末座に繰り送り末客は四個の茶碗を
盆上に置き左膝向ふへり外に假置く可し上客
茶入所望通常の如し所望終る時末客は長盆を
取り立ちて茶道口内左の方に戻し置く可し亭
主建水持ち立て茶道口に座し普須磨を開け先
づ長盆を外に出し置きて後建水を引く可し以
下通例の如く變る事なし(完)
備考
各服點には上客の茶碗には古物を用ひ次客
以下の四個の茶碗には新らしきを用ふ新ら
しき四個の茶碗は拝見なきものとす
右略述は五客の時なりしも六客の時に及び
以上の時は前重茶碗となし残る分を長盆に
載せて可なり
此手前は衞生を重じてよりの想案に由れば
此の手前をのみ用ひずとも普通の呑み廻し
法を用ふるも可なり
茶の分量は前述の如く三杓より五杓までを
極度とす
小帛紗は初めの茶碗即ち上客の其れに添ゆ
可し
長盆の木は桐にてかき合わせに塗も可なりは
たそりなるを可とす
盆は長盆にても丸盆にても其時の都合にて
差支無之此手前は衞生上不得止塲合に用ゆ
る者なり
以上が、円能斎の「浦のとまや」の各服点はの記述であるが、重要なことは、衛生上の理由、明治時代の外人に日本茶道を受け入れやすくするためから、客に別々の茶碗で茶を呑む手順を公開されたもので、細かい点前の所作に関しては詳細に記述されてはいないことは、それぞれの点前に応用を試みるために事例として公開されたものであったといえよう。
2021年(令和2年6月26日)に坐忘斎によって発表された各服点もコロナ時代に応用すべき一例として発表されたもので、各流派も応用して各服点を活用されることを広く提言し、それぞれに応じた自由性のある各服点の発表であった。
改めて「各服点」そのものを検証してみると、利休茶道の中で、「各服点」は行われてきたことに気が付かなかった人たちが少なくはない。
その理由は、各点前として学習しながらも、点前の持つ意味合いを検証しながら点前を習得するのでなくて、点前の名称の一つとして学習したことに原因がある。つまり、「貴人清次」、「重茶碗」の点前は、その点前として学習し、「各服点」としての認識が及ばなかったことである。
「貴人清次」は、「清」と「次」の各服点そのものである。ただ「次」が複数いる形式で「次」の回し飲みをして学習している場合が多いので、「各服点」として認識できなかったことが原因であろう。「重茶碗」の場合は、多人数の場合に二碗を用いて呈茶する「各服点」といえる。
つまり、「各服点」はすでに、利休茶道の中に存在していたことに気が付かなければならない。
そもそも、各服点が考案されたのは、明治に入って、外国人の茶道の受け入れに対して、「飲みまわす濃茶」が容認されないために生まれた円能斎による考案の点前である。重要なことは同じ茶碗で複数の人が飲むことを避けるための点前の手法である。又、各服点ては、一点前としての確立されたものではなく、各服にて茶を点てる応用として考案されたもので、淡々斎の時に「風興集」に一例として再掲載された。
坐忘斎が他流にも応用として紹介した理由も、裏千家の各服点を他流にもコロナ時下での点前の応用として参考にしていただくために述べたのは、自由性のある各服点であるからである。
「各服点」がどのようにして行われるべきか、重要な点については、各服点絶対条件ページで記述してみよう。
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